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1994.02.19

リレハンメル五輪旅行記 Part4

ホルメンコーレンのジャンプ台を見に行く予定だったのだけど、テレビを付けたらノルディック複合のクロスカントリーが始まる所だった。日本勢のスタートを見届けてから出かけようと思ったら面白くてしばらく釘付けになってしまう。
河野が順位を上げてゆくのを見て、「きっとメダル取れるよね」等と言いながらようやく出かけたのはお昼頃。

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夕方からはフィギュア・スケート男子フリーを見にハーマルへ。
17日は時間が遅かったせいかタクシーを待つ人は少ししかいなかったけれど、この日は長蛇の列。ハーマルは、やはりオスロより寒くて、待っている間は辛かった。足の裏が冷たくて冷たくて……。今回、「最大の失敗・持ち物の部」は靴だったと痛感した。
私達の順番の少し前にバンのタクシーが来て、4人程のアメリカ人(と思われる人達)と同乗させてもらった。1270クローネだったので17日の半額で済んだ。

前回の失敗をふまえ、到着するなりオスロ行きのバスの手配に走った。
しかし会場外のインフォメーションでいきなり"difficult"と言われ愕然。でも、
「ひょっとしたら会場の中のチケット売場で買えるかもしれないから、駐車場を抜けた所の入口に行ってみて。もしダメだったらまた戻って来なさい、なんとか助かる方法を探すから」みたいな事を多分言われたので(語学自信なし)、指示通りにまず駐車場へ向かうと、そこにいた係員に「ここはパスがないと通れない」と言われてしまう。

そんな事言われても「ここを通らないとバスのチケットが買えない」と固く信じていたので必死に訴えたら諦め顔で通してくれて、ほっとしたのも束の間、近くにいた人にバスのチケット売場はどこかと尋ねたら何とその人はポリスマンで「どうしてパスがないのにこんな所に入って来たんだ」と注意された挙句、「仕方ないからここ(関係者入口?)から入ってまた出てやり直しなさい」みたいな事を言われる。でもわざわざ荷物チェックと光チェックを受けてそこから入って別のゲートから出ても、また説明して入り直すのかと思ったらうんざり。「競技も始まるし」という事で出る事は断念してしまった(出ようにも、出口が簡単に見つからないし)。

他の係員にオスロ行きのバスのチケットの事を聞いても埒があかないし(親切なんだけど)、どうしようもないけどせっかくの競技を見逃すのもバカみたいなので、気が気じゃないけど、とりあえず席に座る。「ハーマルの駅員さんに『これからは気を付けなさい』と言われたばかりなのにまた駅で相談するなんてとても出来ないし、今日こそ長距離タクシーだろうか?」などと考えをめぐらせていた。

トップバッターはO選手。精彩がない……と、心が波立っているので採点も辛くなる。
第二グループの最後の方でTさん(同行者)が「万が一ボイタノを見逃すような事になったらショックだから、今の内にトイレに行く」と言って席を立った(ボイタノは第三グループの第一滑走)。
そして戻った時にはノルウェー語で走り書きしてある紙切れを持って来た。会場内のインフォメーションに行ってオスロ行きのバスの事を訊いたらやっぱり難しい旨を言われたんだけど、言葉がよく通じなくて困っていたらインフォメーションのおばさんが何かをダーッと書いて「バスの運転手にこれを見せるように」と渡してくれたのだそう。「ボイタノが滑っちゃうと困るからそれを貰うと慌てて戻って来た」と言う。
暗闇にパーッと光明が射して来たような気がして、そのおばさんとTさんを崇めたい気持ちで一杯になった。それからは落ち着いた気分で競技を見れて、表彰式まで楽しむ事が出来た。

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1位ウルマノフ、2位 ストイコ、3位 キャンデローロ
私達の席の前には「専修大の松田先生」とかいう人が座っていて、佐藤さんや及川さんが挨拶に来た

でもその後がまた大変。
帰りに「人ごみの中にいるスコット・デービス」をすぐ近くで見られるというラッキーもあったけど、外に出てみたらどれがオスロ行きのバスだかわからなくて走り回る事に。
私は方向もわからなくなって(バスだらけなんだもん)、泣きたくなってしまった。

おまけにようやくオスロ行きのバスを見つけたと思っても「あっちのバスに行きなさい」など、たらい回しにされてしまう。そうこうするうちに、バスはどんどん発車してしまい、心細さは募るばかり。「次のバスには何が何でも乗るぞ!」と心に決めて運転手さんに"Can we get in?"と尋ねると案の定、"Do you have tickets?"。
でもノルウェー語の書付を渡すと「仕方ない」といった風情で"OK"と言ってくれた。

彼が書きつけを読んでいる時の祈るような思いと"OK"を聞いた時の喜びは忘れられないと思う。もう本当にほっとした。これで酔ったらシャレにならないと気を引き締めて酔い止めバンドをして心の中で何度も「ありがとう!」と叫んだ。
「よくこんな暗い道(街灯がほとんどない)を走れるなぁ」と感心しながら私は車窓と運転手さんを見つめていた。しばらくそうしていたけれど疲れのせいでそのうち眠りに落ちていた。

オスロに着いたのは深夜2時頃。
運転手さんに別れ際"Thank you very much! I'll never forget your kindness."と告げると、彼は乗せてくれた時の困ったような表情とは全く別の、優しい笑顔を見せて"sure"と言った。30代前半でクリントン大統領に似ていた。寝ていたせいか、オスロはとても寒く感じられた。

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この記事は、2018年1月28日に作っています。

「バス」と「パス」……わかりづらいですね(^_^;)。
既に色々忘れていて、自分で書いた文なのに読みながら「駐車場に入るのに、パスが必要だったって事だろうか?」などと考え込んでます(ばか)。

17日に続き、またしても大迷惑をかけてしまった私達。17日の反省をふまえて行動したつもりだったのに、結果的にはこんな事になってしまいました。本当に申し訳ないです。
あの日以降、「Tさんには頭が上がらない」と思ってましたが、喉元過ぎて感謝の気持が薄れかけてたかな。いけない、いけない。

運転手さんの"sure"はどういう意味だったのか?
「こんな体験、忘れるわけないよね」という意味の"sure"だったのか、お礼を言われた時にはそういう風に答えるものなのか、いまだにわかってない私です。
そして、忘れっぽい私ですが、この時の事はいまだに忘れられません。これからも"I'll never forget."だと思います。
こんな事がなくても、長野五輪のボランティアを志していたとは思うけれど、こんな事があって、「ボランティアで恩返しが出来たらいいな」と思いました。

書付に何が書いてあったかも謎。「インターネットに載せて、どなたかに解読してもらいたい」と思った事もあるのですが、書付は友人が持っていたので、今でも取ってあるのかどうか???
当時は「たらいまわしにされた」と感じましたが、ひょっとしたら「最終のバスにも乗れないで困っているようだったら乗せてあげて」みたいな事が書いてあったのかもしれませんね。

当時は「なんで競技を夜遅くにやるんだ」とすごく理不尽に感じました。今では夜やるのって、当たり前なんですけどね。逆に次回・平昌の「午前10時開始」というのに無茶苦茶驚いたりして。アメリカのテレビ放送の都合なんでしょうけど。

写真コメントの「及川さん」はこの日出場していた及川史弘さんの事ですが、「佐藤さん」はやっぱりリレハンメル五輪に出ていた佐藤有香さんの事なのかな。全く思い出せないです(^^;;;;)。

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