新選組の足跡(大阪リベンジ編)
うん、今回は↑の記事と照らし合わせながら読んで頂けると良いかも。互いに補完し合ってるような内容かな。
◆蜆橋
ボタン鑑賞を犠牲にして早めに梅田入りをしたのはここに来る為でした。
芹沢鴨が大阪力士と揉めた橋ですね。斎藤さんが体調を崩したあの時です(大河ドラマでは仮病扱いになってましたけど)。
最寄駅は淀屋橋ですが、梅田駅から歩いてみました。
昨年、鴻池家本宅跡は偶然見つけましたが、ここは偶然には絶対見つけられそうにありません。駅員さんも知らないわけだ(昨秋の失敗談参照)。
史跡の雰囲気は全くありません。完全なビジネス街です。「滋賀銀行梅田支店前」という事がわかっていたから何とか見つけられたという感じ。一応石に「史跡 蜆川跡」とか「しじみばし」なんて掘ってあるんですが、「石碑」という感じではなく全く目立ちません。他に何か説明書があるわけでもありません。川は埋め立てられてますし、橋もないので当時を偲べる感じではないです。でも、斎藤さんも通ったと思うと嬉しい私です(^_^;)。
大通りですが、横には花壇が。きれいでした。
で、この辺を御堂筋というのですね。
この近くに適塾があります。そのまま寄れたら良かったのですが、『エリザベート』の公演開始時間が迫っていたので日を改める事にしました。
翌日は朝7時半にホテルを出発して、今度は電車で淀屋橋へ。
平日ならラッシュだったかな?
写真右は「京阪みやこ漫遊チケット」。今回はこれに大活躍して貰いました♪
◆適塾
ま、ここは新選組縁の地ではないのですが、土方絡みで大鳥圭介が学んだ所という事でピックアップ。
ゲーム『維新の嵐 幕末志士伝』にも出て来まして、私は土方をここで学ばせてしまいました(笑)。ここで学ばせるとどんどん洋学の知識が身につくんだもん(^^;)。
今は国の重要文化財に指定されているそうです。
ところで……
この近くで地図を眺めていたら、おじちゃんが「どこ行きたいの?」と話しかけてきました。適塾と言うと、「あぁ、そこに毎日新聞があるでしょ、僕が働いてる所だけど(笑)。で、そこを左に曲がると、すぐだから。すぐわかる」というような内容の事を大阪弁で言い、「これも何かの縁だから」と朝刊をくれました。新聞配達のおじちゃんだったのです。私、今回は荷物を預ける事の出来ない旅なので、極力荷物は減らして来ました。新聞貰っちゃうとホントは困るのですけど、でも何だか嬉しかったのでありがたく頂きました。「また、来てや」という言葉を残して配達所に入るおじちゃんを、中の人達は笑顔で迎えていました。大阪の方って、人懐っこいなぁ。
◆平野屋跡
新選組のだんだらの隊服はここで用立てられたお金で作られたそうです。
北浜駅すぐそば。開平小学校の前に碑がありました。
この小学校が市立なのに無茶苦茶立派でビックリ。ピッカピカできれいでした。
◆八軒家船着場
前回京屋跡の写真を載せましたが、この辺にはかつて京屋など八軒の船宿があった為にこの名がついているのだそうです。「京屋跡地の写真は前回撮ったからいいや」と思ったのですが、今見返してみたら暗いですね。今回も撮っときゃ良かった…。
右の写真クリックすると大きくなります。
◆天神橋
こちらは前回新選組縁の地だとは全く気付かなかったので、渡ったのに写真を撮ってませんでした。今回は渡ってませんが、目の前を通ったのでパチリ。
当初の予定では、この後枚方宿に行く筈だったのですが、ちょーっと時間的に余裕が無くなってしまったので、飛ばして、橋本宿に向かいました。
橋本は大阪府ではないようなので、記事は一旦区切ります。
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