新選組の足跡(本田覚庵邸)
前回、謎かけっぽく書いた、寄り道した某所、というのは国立市谷保の本田家の事でした。
本田家住宅は「名主階層の格式をもつ母屋で、江戸中期の六間形形式の住居」←ご子孫が生活しており非公開
本田家薬医門は「本田家の江戸時代薬医門で、屋敷を構成している重要な遺構」
そして本田家の前にある常夜燈は「江戸時代の甲州街道を灯す火伏せの神を祀るもの、文久3(1863)年造立」
との事(以上の「」の中の記載は国立市ホームページより抜粋)で、市の登録文化財となっています。
本田家はこの辺の名主だった家ですが、幕末時の当主・本田覚庵は土方歳三の親戚で、土方の書道の師でもあったそうです。名主で文人というだけでもスゴイのに、村医者でもあったとか。
ここには土方はもちろん、近藤勇も度々訪れたそうです。
大國魂神社に奉額されたという、天然理心流の今はなき額に字を入れたのは覚庵だそうです。
左を見ると「この白壁は……萩?」なんて錯覚しそうな感じなのに、右を見ると甲州街道。車が絶えず往き来します。でも、この辺を土方や近藤が歩いたんだなぁ。しみじみ……。
写真右:うおっ!? こっ、この紋、どこかで見た事あるよ。丸に右離れ三つ葉立ち葵。山南さんの紋!? 光縁寺に付いてる紋!?
常夜燈。文久三年といえば、浪士組が京都へ出発した年です!!
右の写真、クリックすると大きくなります。
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コメント
そうそう!
土方さんって、本田覚庵さんから書を教わってたんですよね〜
けど、、スゴイお宅だったんですね、本田さんちって。
そんな所と親戚だった土方さんちも、当時は士農工商でいえば二番目だったとはいえ、相当なお家やったんやな〜と、今更ながら感心しています。
”お大尽”と呼ばれてたっていうのは知ってるんですけど、それがどれほどのものだったのか?と聞かれれば、答えに詰まってしまう私です(苦笑)
投稿: あさぎ | 2008.09.22 09:39
あさぎさん
佐藤彦五郎さんも名主でしたもんね〜。
名主の親戚が何人もいて、土方さんち自体も豪農で……
武士の出ではないといっても、庶民とはちょっと違いそうですよね。
あまりピンと来ないけど、セレブな世界の住人って感じ?
龍笛持っちゃってるしなぁ。←こだわる
投稿: YAGI節 | 2008.09.23 01:50
書道の先生のお宅ですか〜。何やら荘厳ですね
この本田覚庵さんと言う先生の字を見てみたいです。最近、土方の書簡本を買ったので、この先生の毛筆に似ているの気になります。
投稿: Mini子 | 2008.09.23 21:51
Mini子さん
本田家、写真で見ると史跡っぽく見えるかもしれませんが、思いきり街道沿いなんで、何も知らずに歩いてたら車に気を取られて通り過ぎてしまいそうな感じでした。常夜燈も注意しないと気づかないかもです。
覚庵さんの字も見てみたいですか。さすが、気合い入ってますね〜。
土方さんの字は、知っている句の言葉すら、読むのに四苦八苦してしまう私です
投稿: YAGI節 | 2008.09.24 00:30
本多覚庵、初めて聞く名前ですが、立派なお屋敷ですね。流石は名主。
この紋は確かに立ち葵ですね。
光縁寺で見たのを覚えています。
投稿: 桃源児 | 2008.09.24 01:02
桃源児さん
残念ながら、外からは門と壁しか見えないのですが、「家はさぞかし立派なんだろうなぁ」という感じです。
で、やっぱり光縁寺の紋と同じですよね♪
私が「うわっ、同じ!?」とテンションが上がったように、山南さんも光縁寺の紋を見てテンション上がったのかな?……なんて考えると楽しいです。
紋が同じって、よくある事なのかな?
投稿: YAGI節 | 2008.09.25 00:17