MANSAI◎解体新書その拾伍 「普通」って?
「MANSAI◎解体新書」とは世田谷パブリックシアターのHPの言葉を借りると、
だそうです。現代芸術の世界を構成しているさまざまな分野、要素をパーツに分け解体しながら、それぞれの成り立ちと根拠をあらためて問い直すシリーズです。新たな「日本演劇」の創造と劇場の基礎づくりを目的に、毎回多彩なゲストをお招きし、お互いの専門分野を駆使しながら、共通する必要不可欠なもの=「表現の本質」を探っていく企画
萬斎ファンになってから迎える3回目の「解体新書」です。
このシリーズは電話でチケットを取る事が出来ません。
往復ハガキかパソコンで申し込み、抽選に当たった人だけが買えます。
前回は立ち見席が当たり購入したんですが、親戚に不幸があって告別式へ出席する事になってしまいました。直前だったので、チケットを売る事も出来ず……。
その前はゲストが和央ようかさんで、宝塚ファンの熱気に恐れをなし、なんとなく気後れして購入を見合わせました。なんか熱烈なファンの方々が「チケット買えそうにない~」とか言っているのをブログなどで見てたら、「あ、いいです、私、新参者なんで、遠慮しときます」みたいな気分になってしまったというか(^^;)。
で、ようやく今回初参戦です。
しかし、また当たったのは立ち見席だった~。
会場に行ってドッキリ。なんと2時間半、休憩無しだそうです。
2時間半も立ってられるかな……?
あ、「足が疲れる」とかじゃないんです。
健脚なんで、2時間半歩けと言われる方がまだマシ。
「動かず立っている」という事が苦手なんです。
朝礼で気を失った事、数回。
満員電車で気を失った事も……。
気分悪くなる人はよくいるけれど、気を失う人ってそうそういないのでは?
映画館では絶対立ち見なんてしません。
萬斎さんを観る為じゃなかったら、立ち見なんてしません。
あ、デヴィッド・ボウイの為なら、立ち見します(^^;)。
っていうか、ライブだったら、動くから逆に大丈夫。
じっとしている事が苦手なんです。血が薄いという訳ではなさそうです。貧血と言われた事ないですから。血の巡りが悪いのか?
と、緊張の中始まった解体新書でしたが……
楽しいっ!!
ゲストの穂村弘さんが面白過ぎるっ!!
今回のゲストは穂村さんと精神科医であり作家でもある春日武彦さん。
プロフィールを見ると、圧倒的に春日さんが面白そうで、穂村さんの方は「ん~、歌人かぁ。短歌って、よくわかんないんだよなぁ(百人一首好きなくせに矛盾)」なんて思ったんですが、意外にも穂村さんに魅かれました。思わず図書館に穂村さんの本の予約を入れてしまった程です。
なんか……
ちょっぴり変わった方ですね。
話し方はたどたどしく、心もとない感じ。最初はハラハラしちゃいました。萬斎さんが急かすかと思ったけれど、ゆったり構えてらしてホッとしました(^^;)。
「もし歌人でなかったら、友人としてではなく、患者として(精神科医の)春日先生と付き合う事になっていたかも」なんて事をおっしゃってましたが、それが冗談には聞こえない。センスが普通の人と違う気がしました。
「会話のキャッチボール」というのは得意ではなさそうです。「話を引き出す」というよりも、勝手に話して頂いた方が面白いタイプ? 穂村さんがお話しされている時は立ち見の憂いも忘れて大笑いしちゃいました。もうツボを押されまくり。
そういえば、ボウイのお兄さんは精神を病んで亡くなってしまったのですが、そのせいか「自分も兄のようになるのでは?」と気にしていたという話を読んだ事があります。
「気にする」というのは「気を付ける」という意味でもあるかもしれないし、ボウイの「変わった事をやりつつも、行き過ぎない」という絶妙のバランス感覚はそういう事も関係しているのではないかと思っています(「いや、あれは行き過ぎでしょう」というお考えも否定はしません)。そして、それがボウイがカルトスターで終わらなかった(大衆にも支持された)要因の1つだと考えているのですが、私はそういう、どこか危うい所を持ちつつもノーマルな所で頑張っている人が好きなのかも知れません。
穂村さんのおっしゃる事、色々共感出来ました。
萬斎さんの事は大好きで尊敬もしているけれど、立派過ぎて距離を感じます。
あ、「穂村さんが立派じゃない」という訳ではないし、残念ながら、私には穂村さんのような才能は無いからやっぱり距離はあるんですが、それでもなんとなく親しみを感じるというか。
穂村さんや春日さんが面白いと感じた言葉や短歌などを紹介していましたが、穂村さんが紹介していた物の方が笑えたし、感性が似ているんだろうなぁ。
とか言いつつ、やっぱり握った双眼鏡は萬斎さんの方へ(笑)。
穂村さん、萬斎さんに「普通になりたいと思う事はありますか?」なんて聞かれてました。もう「普通じゃない」という事が前提になってるよ(^^;)。
穂村さんは「特別な人にはなりたいけれど、ヘンな人にはなりたくない」みたいな事をおっしゃってました。「ボウイもそう思っていそうだなぁ」なんて想像してしまった私です。いや、萬斎さんも、そう思っているかも?
萬斎さんだって「普通の人じゃないじゃん」という見方も出来るのですが、「能楽」というジャンルそのものが現代の一般人から見れば異質なので、穂村さんの「普通じゃない」とは性質が違うと言いたいようでした。だからといって、「能楽界の中では萬斎さんも普通の存在だよね」なんて言われたら、きっと反発しますよね(^^;)。
「特別な人にはなりたいけれど、ヘンな人にはなりたくない」というのは皆の共通した願いかも?
質疑応答のコーナーでも「人はどこかに所属していると安心出来る」という話が出ました。「所属出来ている」という事は「逸脱してない」、つまり「ヘンな人ではない」と思える事なのかも(「かも」ばっかりでごめんなさい)。
例としてガングロの話が出ました。一般人から見れば「変わってる」という風に見えても、「ガングロ」とカテゴライズされる事によって、その中では安心出来るという話。
宮沢賢治の話も出ました。彼は独特の感性を持っていて、それに共感してくれる人が当時周りにいなかったけれど、今だったらインターネットなどで、エスペラント好きのコミュがあったりして、賢治もその中に入れば安心出来たかも知れないとか。ただ、その場合、今に残るような名作が生まれたかは疑問とか。
ボウイの詩集に『オディティ』というタイトルの物があります。「オディティ」の意味は「風変わりな人, 変人, 異常な物, 奇異な出来事」などなど。
ボウイ・ファンとしては「普通と普通じゃない事」というのはよく考えている事だったので、非常に興味深く聴く事が出来ました。
あれ、今回の解体新書、テーマは『ことば~生命体としての存在論(オントロジー)~』だったんですが、テーマ以外の所に反応しまくってしまいましたぁ。
……と、ここまで書いた所で、弟がやって来ました。
弟に「穂村弘って知ってる?」と尋ねると、「ああ、あの人の本、すっごい面白いね。最近読んでみたら、あまりにも面白かったから、もう一冊買った」とか言うではありませんか。
で、なんと、弟の鞄に穂村さんの本が入っていたのです。「あとがき以外読み終わったから」と貸してくれました♪ あまりのタイムリーさにビックリ。弟も驚いた様子でした。最初、鞄の中を見られたのかと思ったそうです(^_^;)。
借りたのは『本当はちがうんだ日記』というエッセイ。半分位読んだんですが、予想通り面白い。自虐的な感じは、ちょっと三谷幸喜さんのエッセイにも似てるかな。そのうち萬斎さんが登場するエッセイとかお書きにならないかな~。
ただ……女性が読むと悲しくなるような事も幾つか書いてありました……。
そして、さらに驚いた事が。
先程、予約を入れた図書館から電話がかかってきたのです。
なんと、私が予約を入れた穂村さんの『車掌』という本が行方不明だとの事。
ここ1年位の間貸出はされていないというので、盗まれたのか……?
「提携している別の市の図書館から取り寄せるので、時間がかかります」との事なので、キャンセルしました。
ここ数年、新選組のせいで(笑)、図書館利用しまくってますが、こんな事は初めてです。
なんだか、不思議な気分。
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