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2010.01.17

能楽現在形 劇場版@世田谷

突然ですが、
光はとても大事だと思います。

私は野球が大好きです
ゲームは勿論、野球場そのものが好き。
昼間の球場も好きですが、暗い闇の中で異様な程光っている様を見るのも好き。

まだ西武球場に屋根がなかった頃、周囲は真っ暗なのに、球場だけが光っている光景には異次元の世界に降り立ったような錯覚をおぼえて興奮しました。
たまに乗った総武線の車窓から、神宮球場や後楽園球場(古っ)がカクテル光線で光っているのが見えると、「あぁ、今ナイターやってるんだ」と思いドキドキしたっけ……。
暗闇の中の強烈な光には非日常感をおぼえます。

今でこそ狂言を頻繁に見に行き、「狂言は面白いけど、能は眠い」なんて情けない事言っちゃっている私ですが、野村萬斎さんのファンになる迄は狂言より能に興味がありました。
「なんか雰囲気がカッコいいなぁ~」と漠然と思っていたんです。学校で連れて行かれた初めての生能は「眠かった」という印象しかありませんが(爆)、その後見た薪能は暗闇の中で光る能舞台、横で燃えてる炎にワクワクしました。演者さんは知らない人ばかりでしたが、眠る事なく見る事が出来ました(全く退屈しなかったといえば嘘になりますが)。

で、思ったんですけど、能って、暗い所で見る方が雰囲気あって良くないですか?

そんな事言うのは能の事がよくわかっていないせいだという事は重々承知しています。「なんか雰囲気がカッコいいなぁ~」という初心者の印象を、より増幅してくれるのが暗闇だと思うわけです(^^;;;;)。

Takasago例の如く、前置きが長くなりましたが、なぜこんな事を書いているかというと、能楽現在形劇場版を見てきたからです。世田谷パブリックシアター芸術監督である萬斎さんの企画です。

で、これ、場内が真っ暗になったんです。
萬斎さんご出演の狂言では、真っ暗になる事も時々ありますが、屋内の能公演で真っ暗というのは初めて経験しました。客席だけでなく、舞台も暗くなり、演者のみにピンスポットが当たるという部分もあって、それがカッコ良かった~(一部切り換え過ぎに思える所もありましたが)。『○地人』のピンスポットは大キライでしたが、能面付けた人のピンスポットは好きかも~。演じ辛そうですが

という訳で、最初の演目『高砂』(八段之舞・半能)はかなり楽しめました。
そもそも面は好きな私。私が能で眠くなっちゃうのは面付けたシテ(主役)が出て来る前という事が多いです。なので半能で短く、すぐに面付けた人が出て来て舞ってくれるというのは有難かったです。衣装もキレイでした。シテが出て来る迄は、萬斎さんの素敵な謡も聴けたし♪ 

続く『邯鄲』(かんたん)。
これも最初から面付けたシテが出て来たのは良いのですが、段々飽きてきて眠気が……
と思ったら、途中で吊り物が出て来るわ、台はせり上がるわで、一気に目が覚めました。ただ聞いているだけだとピンと来なかったり、あらすじを予習していても、今どこをやっているのかわからなくなっちゃう事がある私ですが(爆)、吊り物のおかげで中国の事がなんとなく想像出来るし、せり上がる台で偉い人を表している事がわかります。夢と現実の境目もよーくわかりました。

以前、当ブログに『にほんごであそぼ』の感想として、

私は子供の頃から国語は割と好きだったのですが、詩にはあまり興味がありませんでした。詩の楽しみ方がわからなかったのです。っていうか、想像力が足りなかったのでしょう。小説は色々説明がありますが、詩は最小限の言葉しか並んでいませんから。 『にほんごであそぼ』は想像力を膨らます手助けをしてくれているように思います。この番組を子供の頃に見ていたら、詩も好きになっていたかもしれないなぁ。
と書いていました。 ↑の「国語」を伝統芸能に置き換えると、詩は能で小説が歌舞伎のように思えてきました。
「能が好き」とおっしゃる方は、想像力が豊かな気がします。 想像力が足らない私は詩が苦手で能が苦手。しかし、その想像力を膨らます手助けをしてくれるのが、『にほんごであそぼ』であり、萬斎さんなのだと思った次第です。

雪の蝋燭能 邯鄲 [DVD]ただ、既に能がお好きで想像力豊かな人にとっては、どうなのかなぁ? 想像する楽しみを奪っているわけですよね。というわけで、これはやはり初心者向けなのかも。
が、理解の助けや眠気防止にはなっても、これがきっかけで能を好きになれる程の格別の魅力があったかと問われると……うーん?

能に馴染めない人を能好きにするという事は、とーっても難しい事だと思います
そんな事に挑戦している皆さんはとってもステキ
という訳で、今後も諦めずに頑張って頂きたいです。私を能の虜にして欲し~(笑)。

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コメント

能楽現在形劇場版ですか。多分能は古典として幽玄という伝統芸能の世界即ち形式美をひたすら守ってきたと思うのです。それはそれでとても大事なことですが、この世界は特殊で難しいという印象を今の人達に与えてしまったのではないでしょうか。歌舞伎と違い様式も無駄を省いており、その形は決して雄弁とはいえませんから。確かに薪能は闇から浮かぶシテの姿は幽玄という言葉だけでは表せない侘び寂びもあり篝火の持つ灯りが独特な雰囲気を醸成していると思います。現在形劇場版は観ていないので良くわかりませんが、それをスーパー歌舞伎のように特殊装置を使って分りやすくしたものではと思います。能楽普及のために。
>詩は能で小説が歌舞伎
言われてみればそうですね。
情感や気持ちを短い言葉で表す詩は、人それぞれの想像力を
高めてくれますよね。

投稿: 早々 | 2010.01.17 22:55

早々さん
おっしゃる通り、狙いはスーパー歌舞伎と似ていたのかも。
スーパー歌舞伎と比べちゃうと、逸脱度は随分小さく見えますが。
いえ、本業の方から見ると、とんでもなく実験的な事をやっているのでしょうが、初心者から見るとそれでもまだ遠い感じです……。
もっとも、「俗っぽい能」というのもどうかと思いますし、どこまで庶民(^^;)に近寄るかの加減は難しそう。

歌舞伎は庶民の物、能は武士の物だったって事、思い出してます。
能に憧れつつも能好きになれない私は、武士に憧れていたのに武士として死ぬ事を許されなかった近藤勇みたい(違)。

投稿: YAGI節 | 2010.01.18 23:34

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