松平容保―悲運の会津藩主
大河ドラマに影響されて(^_^;)、久々に容保本を読んでみました。
『松平容保―悲運の会津藩主』です。
これは……小説といえるのかな。
とんでもないフィクションが載っているわけではないと思うのですが、
たとえば
「容保は額をこすりつけるようにして『くく』と嗚咽を漏らした。人の前では決して見せたことのない、容保の沈痛の叫びであった」
というような「その様子、誰も見てないよね?」といった感じの記載があったりするので、小説ですよね。
で、小説だと思うとどこまで信用してよいのかわからないのですが、個人的に「おお」と思ってしまったのは、容保公が喉が弱かったという話。私と同じだよ!!
そして、こんな記載もありました。
「会津に来て三カ月も過ぎると、容保の体も、見違えるように健康になった。喉の辺りがなめらかになり、ゼーゼーと息をすることがなくなった」
ゼーゼーと息してたという事は喘息ではないですか? 同じ同じ~♪(私は咳喘息ですけど)
そういえば、以前、容保公のお墓参りをしたら何ヶ月も続いていた咳が治ったというお話(当ブログへのコメント)を教えて頂いた事があります。かつて喘息で苦しんでいた容保公だからこそ、咳で苦しむ人を助ける不思議な力がある……なんて思うと夢がありますね。
そして、容保公といえば、京都で病気になってしまいますよね。
どんな病気かは知らなかったのですが、この本にはかなり細かく病状が載ってました。
いつから体調を崩したとか、何月何日はこういう状態だったとか、こういう薬を処方したとか。お通じの回数まで書いてあって驚きました。そういう記録が会津に残っているのだそうです。
病名ははっきりしないけれど、現代の医師によると、胆石症や胆嚢炎だった可能性があるのだそうです。胸部疾患、軽い結核だった可能性もあるのだとか。
と、容保公の事が色々載っているのはタイトル通りなのですが、家臣の情報も載っていたのが嬉しかったです。
興味を魅かれたのは秋月悌次郎に関する記載。
『八重の桜』では「池田屋事件(新選組暴走)の責任を取らされて左遷」みたいな描写で、なんか納得がいかなかったのですが、この本によると手代木直右衛門との確執や、慶喜周辺から出た秋月批判が影響しているとの事でした。慶喜は八月十八日の政変で薩摩が台頭した事が面白くなく、「秋月が余計なことをしてくれた」と後になって言いだしたのだとか。思わず、小泉孝太郎さんの顔が浮かびました(笑)。
一躍名を挙げた秋月をやっかむ人も多かったとか。という事で、秋月の左遷、やっぱり新選組のせいじゃないよね、ね、ね?
どうも『八重の桜』では都合の悪い事は新選組のせいにされているような気がするんだよなぁ……。
2004年に発売された物のようなので、覚馬兄ちゃんや八重をピックアップ……なんて事はないのですが、『八重の桜』の登場人物が沢山出て来るので、『八重の桜』がお好きな人は楽しめると思います♪
といっても、ネタバレになっちゃうので、会津の事を全くご存知ない方は来年お読みになった方が良いのかも?
「会津の歴史の流れは大体知ってるけれど、会津藩士の事は名前がなんとなくわかる程度」というような方は今読むと丁度良いかも知れません。
| 固定リンク
コメント
この本だいぶ前に読んだので咳の話はすっかり忘れていましたが、本当にそんな持病があったという話が残っているのかどうか気になりますね。
そう言えば大河ドラマの容保公も咳してますよね。
照姫が心配して咳止めに効くと松の葉を摘んでたり、、、
私が前にコメントした話、覚えていて下さったのですねー!
あの話は今でも本当に不思議に思いますが、やはり殿が助けて下さったんだと思うととても感慨深いです(;_;)
この本またあらためて読んでみたくなったの本棚探してみます(^^)
投稿: dandara | 2013.03.26 16:13
dandaraさん
dandaraさんのあのお話、とても印象的でした。絶対に忘れられません~。
小説を読んだ感じでは
「容保公はもともと喘息持ちで、江戸にいる時は調子が悪かったけれど、空気の良い会津に行ったら改善した。京都では別の病気になってしまって体力が落ちたので、喘息も悪化した」
な~んて感じに取れなくもないのですが、私が勝手に連想しただけで「喘息」という言葉は一度も出て来ません(^^;)。
「江戸時代に喘息ってあったのかな?」と思い調べてみたら、なんと中島三郎助が喘息持ちだったという記載がウィキペディアにありました~(驚)。
投稿: YAGI節 | 2013.03.28 01:24