ボウイの思い出・その6(本)
普段は『笑点』を見る時間に、今日はスペースシャワーTVでやっていた「デヴィッド・ボウイ 追悼MV特集」を見ました。
なぜかいきなりケーブルテレビのリモコンが効かなくなって、チャンネルがなかなか変えられず、途中から見る羽目に。
"Jump They Say"のビデオでは死んだように目を閉じているボウイがいきなり「カッ」と目を見開くシーンがあって心乱されました。あれは、死んだと思って泣いている人もいるけれど、生きていたという設定で良いのかな? ホントに……甦ってくれないかな。
"Lazarus"のビデオはダメです。1回ちゃんと見た事あるけれど、もう一度見たいとは思えない。
今日も最後まで見られませんでした。
当分見られそうにない。見たくない。イヤだ。
どういう気持であんなビデオを撮ったんだろう???????
どういう心構えであれを見ろというんだろう?
と、考えてもわからないので、本題行きます。
ボウイに影響を与えた本や、ボウイが好きだという本はとても気になり、そのうちの何冊かは読んでみました。
一番衝撃を受けたのはジョージ・オーウェル『1984年』。
これは「ボウイ関連本の中で」という枠ではなく、今迄読んだ全ての本の中でも一、二を争う程の衝撃度でした。
ちなみに、私の中でこれとトップを争っているのは遠藤周作さんの『沈黙』です。
って、それ程、たくさんの本を読んでるわけではないんですけどね(^_^;)。
そんな衝撃を受けた筈なのに、なにぶん昔の話なのでよく思い出せない……
というわけで、CUTS LIKE A BOWIE(かつて私が作っていたボウイのファンサイト)から感想文を転載します。
よそ行きの文体で書いてます、ぷぷぷ。
『ダイヤモンドの犬』発表時のボウイというのは、肉体的にも精神的にも疲弊し薬浸りになり……と、かなり危ない時期だったと思うのだが、人間の心の弱さをまざまざと思い知らせるようなこの恐ろしい小説を、どのように捉えていたのだろう……。とにかく恐ろしい小説である。
この小説で描かれている「1+1を2と言えない世界」というのが恐ろしいのは勿論なのだが、どんな知的な人間であっても「1+1を2ではない」と信じる事が出来てしまうという事の方が更に恐ろしかった。以前別の作家の小説で
「『絶対に正しい』という事も『絶対に間違っている』という事も存在しない」
というような話を読んで衝撃を受けた事がある。
「間違っている」と思われる事も別の観点から見れば必ずしも間違っているとは言い切れないという事だった。
つまり肝心なのは、「それが正しい」とどれだけ自分が信じ切れるかという事。似たような概念はこの小説の中にも見られるし、ボウイの新譜(Earthling)中の"LAW"の"I don't want knowledge/I want certainty"という叫びにも通じているように感じられる。
ボウイは常に「自分が信じる事の出来る真実」を求め続けているのではないか(それはボウイに限った事ではないと思うが)、そしてそれが"BIG BROTHER"のような存在でも良いと思った瞬間があったのかも知れない……。
今読み返して「これって、私が新選組とジャベール(『レ・ミゼラブル』登場人物)について語った時の話に似てるじゃん!!」と思い当たりました(^_^;)。
その時「信念は大事。信じられる物が揺らいでしまうと生きられない」みたいな事を書いてました。その時は新選組とジャベールの事しか考えずに書いていたのですが、頭の片隅に『1984年』や"LAW"の事があったのかもしれない。
やっぱり、自分の思考って、色々の物の積み重ねで出来上がっているんですよね(^_^;)。
過去の事は、忘れたようでも完全には忘れてないんだ。
となると、私の思考の多くはボウイに影響されまくってるわけで……
もっとも「信念が大事」なんて事は当たり前の事で、ボン・ジョヴィも"Keep the Faith"と高らかに歌ってましたけどね。
はっ、『沈黙』も信念の話だ(江戸時代初期のキリシタンが、弾圧の中キリスト教を棄てるか葛藤する話)。
今更気付いて我ながらびっくり。
でも、『沈黙』をいつ読んだかが、思い出せない~(>_<)。
続いて、『ドリアン・グレイの肖像』。
これもCUTS LIKE A BOWIEから転載します。
類まれなる美貌がもたらすものとは何か……
この小説の主人公ドリアンの最大の武器は若さと美貌であった。が、彼の迎えるおぞましい最期は、もって生まれたその美しさ故によるものだった……。ボウイがこの小説を何歳の時に読んだのかはわからない。しかし、若いうちに読んでいた可能性が極めて高い。そして彼が「容貌によって得する事があったとしても、それに頼り過ぎると恐ろしい事になる」という危惧を持った事は充分に考えられる。「自分はドリアンになってはいけない」と思ったのではないだろうか。
ボウイのルックスの良さは多くの人が認める所だろう。学生時代の写真等を見ると、「ドリアン・グレイもかくあらん」といった風情である。が、ボウイといえば、「二枚目」というよりも「奇妙な人」というイメージの方が一般的には強いのではないだろうか。たとえば、女装で物議をかもした『THE MAN WHO SOLD THE WORLD』から、『YOUNG AMERICANS』までのアルバム・ジャケットを街で通行人に見せて印象を訊ねたとしても、「二枚目」と称する人はほとんどいないだろう。
ボウイの中には「奇妙な格好が好きだった」、「特殊なキャラクターを演じたかった」……etcという側面も勿論あっただろう。が、この小説も「正統派美青年アイドル路線」を避けた原因の1つであると考えるのはこじつけだろうか?
"LOOK BACK IN ANGER"のビデオ・クリップは、この小説をモチーフにして作られたものだが、この曲の収められているアルバム『ロジャー』に「少年賛歌」といえる"BOYS KEEP SWINGING"が収録されているのも偶然ではないように思える。つまりこの頃には「自分はドリアンにはならない」という自信を得て幾分余裕をもって若かりし頃を振り返る事が出来たのではないかというような印象を受けるのである。その後の『レッツ・ダンス』で突然アイドル・スター的な色合いを感じさせたのも、吹っ切れた為であると考えるといくらか納得が行く。
『影の獄にて』の感想文も残ってたんですが、今読み返してみたら相当酷いので、公開は控えます(^_^;)。
『路上』は買ったものの途中で挫折。
再挑戦してみようかなぁ。うーん……
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コメント
Jump they sayのPV好きです。
友達から紹介されて、それから時々繰り返し見てました。
あのPVの設定は何なんでしょうね、顔が傷だらけのシーンもあったのに、あの倒れてる時は綺麗な顔だし。
投稿: ゆず | 2016.01.18 20:24
ゆずさん
おお、"Jump They Say"のビデオ、よくご覧になっていたんですね♪
良いご友人をお持ちですね(笑)。
あれ……わからないですよね~。
現実とバーチャルとが混ざっているんだろうか……?
投稿: YAGI節 | 2016.01.20 00:04