大事にしてくれる人とだけ付き合いたい
今日は敬称略で失礼致します。
デヴィッド・ボウイが亡くなった時はスルーだった友人から先日、
「清原のニュース見た?」とメールが来ました。
「ボウイ<清原」とでも思われていたんだろうか?(^_^;)
確かに、私はボウイ・ファン歴よりは野球ファン歴の方が長いです。
先日音楽雑誌の話を書きましたが、音楽雑誌に使った金額よりは野球雑誌に使った金額の方が高いです(『週刊ベースボール』買ってたからなぁ……)。
初恋の人はボウイではなく、甲子園で活躍した高校球児でした。
清原の高校時代もよく憶えています。
そして、私が一番野球場に足を運んでいた頃に贔屓チームのライバルチームの主砲だったのが清原でした。
清原が引退した時には当ブログに「私、10歳位一気に年を取ってしまった気分です」なんて綴っていました。その記事はこちら。
なので今回のニュースも気にならないといえば嘘になるけれど……
なんか、変な所に反応してます。
たとえば、桑田が「小姑みたいに」清原に注意をしていたという話。小姑って!!(爆笑)
「桑田らしいなぁ」と思いました。
でも清原には「一切関わらないでくれ」と言われてしまったそうで……。
確かにうるさそうではあるけれど……。でもでも……。
清原が高校卒業後そのままストレートに巨人に入団していたら、転落しないですんだのではないかと言っている人がいるようです。
確かにそうかもしれない。
でも、私は「巨人に入らなければ、転落しなかったかもしれない」という気もするのです。
高校卒業直後の「巨人に指名されなかった18歳の清原」は西武に入るしかなかったかもしれないけれど、「28歳の清原」には阪神入団という選択肢もあった。それなのに、10年前にあんな酷い仕打ちをした巨人を選んでしまった。
巨人の態度が「来たければ、来てもいいよ」という風に見えたのは気のせいでしょうか?
巨人に入りたがっているのを知っていて、足元を見ていた気がしてなりません。
阪神の方が好条件を提示していたそうですよね。
阪神に入って星野仙一さんのように巨人を目の敵にして戦い続けていたら面白かったのに。
桑田・清原のKK対決が、巨人vs阪神戦で実現したら、すごく盛り上がっただろうに。
阪神ファンの皆さんにも清原はきっと愛された事でしょう。
「大事にしてくれる人達の中で戦っていれば、また違った道があったのでは」と思ってしまうのです。
清原は巨人を見返してやろうと頑張っていたんじゃなかったんでしょうか。
巨人を倒して日本一になろうというその瞬間の彼の涙(日本シリーズ)は印象的でした。
男性の涙はあまり好きではないし、特に清原のような一見強そうな人の涙は見たくなかったけれど、巨人への思いの強さは伝わってきました。「巨人を見返してやった!」という嬉し涙だったと思いたいけれど、まさか、あの期に及んでまだ、「ぼくを指名してくれたら良かったのに(さめざめ)」なんていう乙女ちっくな涙だったんでしょうか?
清原はPL学園でも西武でも大事にされていたと思います。
相思相愛だったと思う。
が、巨人は清原を求めてはいなかった。
「求められていない所に行っても良い事ない」と普通は考えるけど…
清原は本当に巨人が好きだったんですよね…。
巨人に入りたくて入りたくて仕方なかった…。
裏切られても、つれなくされても巨人を思い続けていた?
それは、美しい事のような気もするけれど、恐ろしい事のような気もします。
清原の巨人への思いは「夢」? 「執着」?
夢の為に頑張るのは素晴らしい事だけれど、執着の為に頑張るのは……?
タイトル通りですが、私は、大事にしてくれる人としか付き合いたくないです。
たとえば巨人が求めてくれればそれにこした事はないかもしれないけれど、大事にしてくれないなら阪神を選ぼうと思います。いや、ホントは近鉄ファンだったけど(笑)。仰木監督好きでしたー♪
仰木監督は、清原を大事にしてくれる人でしたね。
桑田も、清原を大事に思っている人だったと思うんだけどなぁ(巨人の桑田指名は、桑田が悪いわけではないと思ってます)。そういう人と縁を切ってしまったのも残念です…。
結果的に清原は、「自分を大事にしてくれる人」ではなくて、「自分を傷つける人」や「悪い影響を与える人」ばかりと付き合うようになってしまった気がします…。
もっとも「西武時代に甘やかされ過ぎたのが良くなかった」という説もあるんですけどね(^_^.;;;;;;;)
何が吉で、何が凶かはわからないかぁ。
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コメント
こんにちは!
清原の思い出といえば、僕は徳島出身なんですが、
僕が子供の頃、池田高校の全盛期でした。
とにかく打ちまくって勝つのが当たり前、というすごいチームでした。
夏の大会だったかな、準決勝でPL学園と対戦したんですよ。
当然、この試合も打ちまくって、10点以上取って圧勝すると思ってました。
ところが、(たぶん1年生だった)桑田の前にあのやまびこ打線は沈黙。
逆に池田のエースだった水野(のちに巨人に入団)は清原を有するPL打線にめったうち。
無敵だった池田高校が手も足も出なかったことにものすごいショックを受け、
世の中にはとんでもない人たちがいるもんだと、
子供ながらに恐怖心すら感じました(^^;)。
YAGI節さんといえば、阿波野推しだったような印象があります(笑)。
投稿: cake | 2016.02.06 09:17
cakeさん
おお、徳島ご出身でしたか!!
ちなみに私が↑で「初恋の人」と書いたのは牛島さんなんですけど、彼が最後の甲子園で負けたのが池田でした。
その日出かける用事があって試合は見られなかったのですが、浪商が勝つと信じて疑っておらず、「準決勝は見られないけれど、決勝は見られるから楽しみ♪」と思っていたので、敗戦の報を聞いた時は、しばらく立ち直れませんでした(T_T)。
その後早実のファンになったんですが早実も池田に負けるし~。
池田はホント無茶苦茶強かったですよね。
その池田をやぶったPL……確かにとんでもない人達でした……
阿波野さんの事、憶えていただけてましたか(照)。
あんな名前なのに、徳島出身じゃないんですよね~。
投稿: YAGI節 | 2016.02.07 00:21