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2016.12.18

ボブ・ディランとさだまさし

ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ボブ・ディランボブ・ディランを特集したNHKスペシャル観ました。
朗読担当が、なんとオダギリジョーさん!!(刈り上げやめてくれたら嬉しい)
オダギリさんといえば『恋する炭酸水』(映画『オペレッタ狸御殿』の主題歌)を昨日久し振りに聴いて、改めて「好きだなー」とうっとりしました……
あ、ボブ・ディランの話でした。

ディランの声は好みだし、愛しのデヴィッド・ボウイに影響与えまくっている人なのでリスペクトはしています。かつてフォークが好きだった事もあります。そんな私が、なぜかディランの事を「好き」と思った事がありません。
理由を考えてみました。

初めて存在を知った時が世間的には「スランプ」と言われていた時期だったからかもしれません。全くオーラを感じる事が出来ませんでした。第一印象は「時代遅れの歌を歌う、くたびれた感じのおじさん」。華がなさすぎて、他のロックスターと並んでいると違和感をおぼえた程でした(すみません!!)。
だから、若い頃の映像を観た時は「え、こんなにカッコ良かったの!?」と無茶苦茶ビックリしたっけ。
現在のディランを見るとちゃんとオーラを感じるのですが、それは彼が復活を果たして充実しているせいなのか、過去の業績を知った私が知らず知らずのうちに色眼鏡をかけるようになってしまっているせいなのか、もはやわかりません(^^;;;;)。

他にもディランを好きにならなかった理由があるのか考えて、変な事に気付いてしまいました。
……さだまさしさんです。

昔、私はさだまさしさんが大好きでした。
さださんといえば、良い曲も多いのですが、特に歌詞がすごいと思ってました。
結構コミカルな作品もあります。
私が好きな曲で『敗戦投手』というのがあるのですが、その歌詞の中に
「朝目覚めてにんまり 歯を磨いてにこり 食前食後ににたり トイレでにやり」とか
「無能 浅はか 板付きかまぼこ」
なんていうフレーズが出てきます。
「にんまり」「にこり」「にたり」「にやり」と「に~り」でまとめてるのもいいし(韻?)、
「everytime」って事を表現する為に、「食前食後」という、お薬を連想させる言葉まで引っ張ってきちゃう。これらのニュアンスを全てまとめて他国語に訳すのは至難の技。
「無能、浅はか」の後に「板付きかまぼこ」と続くおかしさも、外国人には伝わりづらいでしょう。日本人以外には、「無能 浅はか 板付きかまぼこ」という並びが普通なのか特異なのかわからないかも。
何が言いたいのかというと、

外国人では、さだまさしさんの良さを半分位しか味わえない

という事です。

そして、ボブ・ディランの歌詞を前にした時、「ああ、きっと私はディランの良さを半分も味わえてない」と思ってしまうのです。

私が最初に出会ったディランのフレーズといえば、ドラマの1シーンでした。

愛という名のもとに DVD-BOX唐沢寿明さん「どれだけ歩けば人として認めてもらえるのだろう?」
江口洋介さん「いくつの海を越えたら白い鳩は砂地で安らげるのか?」
鈴木保奈美さん「友よ、その答えは風に吹かれている」

当時私は『セント・エルモス・ファイアー』という映画が大好きでした。
「今も好き」と言いたいのですが、今観たらもしかしたら「こんな物で感動してたの?」とガッカリするかもしれない。ガッカリするのがイヤで、見返さない程好きな映画です。
日本の『愛という名のもとに』というドラマの番宣ポスターは『セント・エルモス・ファイアー』にそっくりでした。
「パクリか!?」と怒り、「内容も確認しなければ」と見始めたらハマってしまい、ドラマの虜になってしまったのですが、そのドラマの中のセリフでした。

「はぁっ!? 何それ。風に吹かれてるって、なんだよ!!」
と心の中でつっこんだのをおぼえています。
「ディランはわからん」(大滝秀治さん風)と思ってしまったっけ。

昔の私は歌詞をとても大切にしていたので、言葉のわからない洋楽を聴く意味がわかりませんでした。が、ビートルズやボウイと出会って、「歌詞がわからなくても、素晴らしい音楽はある!」と知りました。
洋楽を聴き始めた頃は、「さだまさしなんて、日本でしか聴かれてないけれど、ビートルズやボウイは世界中で聴かれている。なんて素晴らしい!!」と洋楽を持ち上げ、「邦楽より洋楽がエラい!」、「歌詞なんてどうでもいい。だって音楽が世界の共通語だもの」みたいに思ってしまった時期があったのでした。さださんを聴いていた自分より洋楽を聴く自分の方が成長したような錯覚をおぼえて、さださんや過去の自分を否定していた時期があったのでした。今となれば、それもおかしな感覚だと思うのですが、お子ちゃまだったんです~(>_<)。

「さだまさしを聴いていた頃の自分に戻りたくない」という気持はあったかもしれません。そして、フォークを聴く事に、後戻りするような居心地の悪さを感じたのかもしれません。「あー、もう私、フォークは卒業したから」みたいな。「フォークなんて古いよね」みたいな。

今じゃ、大好きなロックも古くなっちゃったんですけどね。
かといって、新しく好きなジャンルを見つけられるわけでもない。
「古くて何がいけないんですか?」という気持がありつつも、淋しい気もします。
「新しくて、素敵な音楽ないかなー?」と思いつつも、「もうこれ以上私の心を掴むジャンルの音楽は出てこない」と諦めてるかも。

今は、「邦楽より洋楽がエラい」とか、「時代遅れだからフォークは聴かない」なんて事は思わなくなりましたが、自分の場合、フォークよりロックの方が体に合っていると思います。そして、さださんの曲を今聴きたいとはあまり思わないのですが、さださんの詞は今でも素晴らしいと思うのです。
さださんは小説もヒットさせてるし、それこそ10年後(今のディランと同じ年になる頃)ノーベル文学賞取らないかなー? 「ボブ・ディランに次ぐ2人目のノーベル文学賞受賞歌手」なんて事になったら面白いのに。

NHKスペシャルで印象に残ったのは、 "Like a Rolling Stone"の話。
この歌も、「ディランはわからん」と言いたくなる作品です。
何不自由なく裕福だった女性が転落してしまう、そんな女性に対して
「How does it feel?」ですから。
私にはすごく冷たい言い方に聞こえて、「うわっ、意地悪。恵まれた女性に恨みでもあるんですか?」なんて思ってました。
でも、そんな歌を世間の人がそんなに絶賛する筈はないし、何か意味があって「How does it feel?」って言ってるのか……と悩んだ事もあります(大袈裟)。
なんてったって、あのボウイが、超格好良くカバーしている曲なんですよ(^^;;;;;)。
「Rolling Stone」をどう捉えるかによって、意味が変わるんですね。
「転落」じゃなくて、「自由」と捉える?
日本語訳にはそんな事書いてなかったもん。
英語が苦手な外国人にはわからないですよ。
ほら、さだまさし的でしょ?(そうか?)
英語が苦手な日本人(っていうか、私)が、簡単にディランをわかったフリしちゃいけないと思っちゃうわけです。迂闊に好きとか嫌いとか言えないんです。

「ディランが"Like a Rolling Stone"でイメチェンして、批判もされた」という話は知識としては知ってました。が、実際映像で、ブーイングを受けたり、「ユダ!(裏切り者)」というヤジを浴びている姿を見てビックリ。活字で読む数倍のインパクトがありました。
何十年も経った今、ベストアルバムで"Like a Rolling Stone"を聴いてると、他の曲との違いはそれ程感じません。ボウイがカバーしたヴァージョンは明らかにハードロックですけれど、ディランのヴァージョンは、「フォークじゃない。変わっちまった!」なんて騒ぐ程の物には思えません。「え、あれ、フォークじゃないの? まぁ、言われてみればカントリーロックっぽいかも?」なんて呑気に思ってしまいます。
が、あの映像を見て、事の重大さが少しわかりました。当時としては大変な変化だったんですね。リアルタイムで聴いた人だけがわかるショックなのかもしれない。

スペース・オディティそういえば、ボン・ジョヴィ大好きな私は『These Days』というアルバムを聴いて「こんなの、ボン・ジョヴィじゃない」と、それはそれはショックを受けたのでした。今は大好きなアルバムです。自分の事なのに、なぜそこまでのショックを受けたのか忘れてしまいそう。今聴くと、同じボン・ジョヴィだし、そんなに大きな違いがあるようには思えないのだけれど、リアルタイムで聴くと衝撃的だったんですよねー。

という感じで、ディランの見方がちょっぴり変わって、ディラン・ファンの皆さんの気持ちがほんのちょっぴりですがわかった2016年の師走でした。

最後の写真は、ちょーっとボブ・ディランを彷彿とさせませんか? でもボウイです。

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