ウィキペディアのボン・ジョヴィの項を見ながら
ボン・ジョヴィ・ライブの余韻がさめないYAGI節です。こんにちは。
皆さん、ボン・ジョヴィには、どんな印象をお持ちでしょうか?
ひょっとして、「昔、人気があった人達」というイメージですか?
が、全米チャートでは相変わらず、高位を保ち続けています。
アルバム毎の最上位順位をグラフ化してみました。
以前、デヴィッド・ボウイのこんなグラフを作りましたが、軌跡は結構似てるかも。
ボウイと比べると、アルバム数はまだまだ少ないですが。
ボウイの時はイギリスとアメリカのグラフにしましたが、日本で人気のボン・ジョヴィなので、こちらは日本とアメリカのグラフにしてみました。
ちなみにウィキペディアの「ボン・ジョヴィの作品」という項になぜか、「バーニング・ブリッジズ」の記載はありません(12月2日現在)。存在しなかった事になってるの?
(英語版のWikipediaによると、"compilation album"となってました)
「ジャンル」の欄は興味深いです。
「ロック、ハードロック、ポップ・ロック、グラム・メタル(初期)、ヘヴィメタル(初期)、スタジアム・ロック」
となってました。
初めて"Captain Crash And The Beauty Queen From Mars"を聴いた時、ボン・ジョヴィらしくないような気がしましたが、初期を「グラム・メタル」と捉えれば腑に落ちる。歌にジギー(ボウイのキャラクター)が出てきたのは驚く事じゃなかったんですね。
ウィキペディアには来日記録も詳しく載ってます。
1989年1月7日の公演は、昭和天皇崩御の為自粛されたらしい。その後始まった平成も終わろうとしているのですから、歴史を感じます……。
1990年12月31日(~1991年1月)の年越しライブは、それほど親しくない知り合いに誘われましたが「大晦日はちょっと」と断ったっけ。
ボン・ジョヴィというと年越しライブが恒例のようなイメージがありましたが、88年と90年の2回だけだったんですね。
1984年から毎年来日していたボン・ジョヴィですが、その後来日してくれなくて、
「こんな事なら、90年に行っときゃ良かった」と後悔していた93年に再び来日公演が決まりました。Keep The Faith Tourです。これが私の初ボン・ジョヴィ生ライブとなりました。
1993年6月4日、日本武道館です。ちなみに6/2の公演はジョンが第一子の出産に立ち会った為振替になったそうです。
生まれたばかりの我が子を置いて来日するのは、どんな気分だったんだろう? でも、ライブは本当に素晴らしかった。そして、とにかく楽しかった。ライブがあんなに楽しいものだとは知りませんでした。「結構好き」程度だったボン・ジョヴィの事が、大・大・大好きになっちゃった。かつては「ライブで合唱するなんてこっぱずかしい事、絶対出来ない」と思っていた私が、ライブでの合唱に感動しまくり。日本人が英語の歌をあんなに歌える事に無茶苦茶驚きました。
まだ、歌詞をあまり憶えていなかった私は、「次のコンサートの時には、もっとちゃんと歌う!」と決意したのでした。
次の来日は95年5月。
この時、初めてパソコン通信(ニフティ)で知り合った方とご一緒させていただく事になりました。
当時私はニフティのFROCKというフォーラムに参加していました。FROCKにはいくつかの部屋があり、私はチャ(ート)ポップ、HR/HM、クラ(シックロック)部屋をチェックしていました。HR/HMには詳しくなかったので、そこはほぼ覗いているだけという感じだったかな。
ボン・ジョヴィはHRというにはポップ、ポップスというにはハード過ぎるという感じで微妙でした。また、FROCKには男性が多かったので、ミーハーな話をするのはちょっと気が引けたかな。そこで、rさんがPATIO(フォーラムの小型版)を作ってくれる事になりました。
そのPATIOの皆さんと一緒にライブを見ようという事になったのですが、当時はまだネット販売がありませんでした。良い席で見るには、チケット発売初日に並ぶのがベストでした。
それ迄ロック・コンサートのチケットは電話でしか取った事のなかった私ですが、初めて「発売初日に並ぶ」という行為を行いました。寒い日でしたが、一緒に並んだ某ロッカーさんの手袋は穴の開いているスタイルで、「ロッカーは寒い思いを我慢しなくちゃいけないのか」と思ったっけ(笑)。
そのツアーの直後、rさんがFROCKでPATIOの宣伝(?)をしたら、メンバーが一気に増えました。30人近くになったのかな。
その頃には「初日に並ぶ」という行為はなくなり(禁止になったんだっけ? よく憶えてない)、メンバーの中でウドー(音楽事務所)の会員になっている方にチケットを取っていただくようになりました。会員には購入の為の番号が与えられていて、その番号を繋げる事によって皆がかたまって見る事が可能だったように思います。たとえば、1人5枚購入可能だとしたら、5人買うと25人分になり、それだけの人数が固まって見られたという感じ。
というわけで、96年は結構な大所帯で見ました。あれは凄かったなー。
次の来日までには4年も空いてしまったせいか、PATIOのメンバーもやや減ってきました。それでも、そこそこの盛り上がりで、2000年、01年、03年とPATIOの皆さんとライブを楽しませていただきました。それからまた、来日ペースが落ちゃったかな。正直、私も「そんなに来なくてもいいかも」と思いかけていたかも(^_^;)。
それでも、2006、2008、2010、2013、そして、今年2018年と、東京(か横浜)のボン・ジョヴィ単独コンサートには全て一日は参戦した私でした。熱が冷めかけていても、いざ行くと無茶苦茶楽しいのがボン・ジョヴィのライブです。
2005年にニフティのパソコン通信サービスは終了してしまいました。
メーリングリストに移行した際に離脱した人もいて、現在のメンバーは10人。寂しいけれど、出来てから20年以上も経つグループなのに、まだ10人もいるというのは凄い事かもしれません。rさんのお人柄ですね。
その中で今回のツアーを見に行った人は、私を含めて7人でした。そのうちの1人は用事が出来てしまって当日ドームにいらしたのに、チケットをその場で売って帰られたので(涙)、見られたのは6人。今回は(というか前回も)、チケットは2枚ずつしか買えなかったらしく、6人かたまって見られたワケではありませんでした。
それでも開演前と終演後には集まりました。
入院で有休使いきった上に今も通院で時々休む私は、更に「休みます」とは言えず、仕事してからの合流となりましたが、終演後には右のような素敵な写真を撮れて嬉しかったです。
皆さん右手ですが、シャッターを右手で押した私は左手(^_^;)。
Keep the Face のジャケットを真似て、加工してみました。
こんな事が出来るのもCDが出るからでアルバムという物があるおかげなのですが、CDは風前の灯火でしょうか。天下のボン・ジョヴィでさえ、アルバム売上げはこんな感じなのです。
ウィキペディアに記載されているデータを元にグラフを作ってみました。
CDショップがどんどん閉店していくのも納得……。
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