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1994.02.17

リレハンメル五輪旅行記 Part2

午前中はオスロの市内観光を楽しむ。

N04_2王宮を見、オスロ市庁舎でオリンピックグッズを見たり壁画を鑑賞。
市庁舎には日本語の堪能(あるいは本当に日本人?)な人がいて「リレハンメルに行かれました? 寒いから沢山着込んでいった方がいいですよ」などと声をかけられる。

市庁舎の前にはインフォメーションがあり、お土産が売っていたり、コーヒーコーナーがあったり、オリンピックの映像を流していたりとくつろげる雰囲気。とても寒い時に入ったのでオアシスのように思えた。

N01_2 N02_2

その後市電でフログネル公園へ行ってから、オスロ中央駅からフィギュア・スケート会場のあるハーマルへ向かう。

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駅のインフォメーションは大混雑。切符売り場も長蛇の列。どうして自動販売機がないのかと疑問に思う。
ハーマルのインフォメーションで競技場まで歩けるかと尋ねると20キロだか30キロと言われて慌てる。バスは出ておらず、仕方ないのでタクシーで会場へ。
そんなこんなで会場に着くのが遅れてしまう。

急いでいるのに、会場ではしっかり荷物チェックをされてしまう。
終わって「さぁ、入るぞ!」と思ったら演技中はカーテンが閉まっていて通してくれない。チラッと覗いたら知らない人みたいだったし、まだ10分位しか過ぎていなかったのでてっきり一人目かと思い、「この人知らない人だからいいや」と思ったら一人目ではなく二人目で、なんと一人目はボイタノだったと判明。大ショック!!
その「知らない人」(テレッセン)が滑り終わるとようやくカーテンが開き中に入れた。

会場が明るかったのが印象的。天井は鉄骨ではなく木なのがノルウェーらしくステキだと思った。

帰りは会場の前にバスが停まっていた。ハーマルの駅に行くというので乗り込む。
が、ハーマルに着いたのはいいけれど、オスロ行きの電車は既になかった。タクシーで帰ろうかとも思ったが電車で2時間の距離。

「駅で一夜を明かすしかないのだろうか……」と不安がよぎる。
という事は、あのおいしいホテルヨーロッパの朝食が食べられないのか……と下らない事を考えていると、ある男の人がやっぱりオスロ行きの電車はないのかというような事を駅の人に聞いていて、ないとわかると私達に「タクシーで一緒に帰らないか、3人で割れば安くなるし」という様なことを言ってきた。

悪い人じゃなさそうだし「そうしようか」という事になる。
その男の人はタクシーの手配を頼んでいるようだったが駅の人も他に手段がないかと色々調べてくれた。細かい話し合いは英語がペラペラのその男性にお任せという感じ。オスロに行くと言っているし、もう「この人に着いて行くしかない」という心境だった。その人は"maybe train"と言う。「え? 電車が無いと言うのにどうして"maybe train"?」と思っていたが、なんと停車しない筈の電車を止めて、私達を乗り込ませてくれた。

N03_2暗かったので、電車の外観は全くわからなかった。
「貨物電車でも仕方ない」と思っていたが乗ってみると普通の電車(特急?)。しかも座席まで確保してくれた。
女の車掌さんがいきなり乗車券をビリビリ破ったのには青くなったけど、あれは正規のチケットではないので「証拠を消すために破ったのだろうか」と勝手に解釈した。

それにしても「本当に皆さん、どうもありがとう」という感じだった。そして「英語ペラペラさん」もいてくれて、とても心強かった。彼はドイツ人との事。Tさん(同行者)は「スティングに似てる」と言い、私は「ヒューバートカーの一員に似てる」と言ったが、有名人でもっと似てる人が他に絶対いたような気がする。思い出せないけど……

★        ★        ★

この記事は、2018年01月28日に作っています。

昔の紙媒体のアルバムを引っ張り出し、そこに書いてあった日記とコメントをほぼ当時のまま転記しています。

いやー、すごい経験です。
当時はインターネットがなくて、現地の事を調べるのが本当に大変でした。一応ノルウェーの観光局(だったかな?)などにも行って頑張って資料は集めたんですけど、限界がありました。
オスロからハーマルって結構遠いので不安がないわけではなかったけれど、「オリンピック期間中なんだから、電車がなくなって帰れないなんて事はないだろう」と思ってました。甘かった……。

停まらない筈の電車を停めてしまうとは、あまりにも申し訳なく、「とんでもない事をしてしまった」という後ろめたさもあり、しばらく誰にも言えなかったように思います。もう時効かな。それにノルウェーの皆さんがとても親切という事も伝えてみようと思いました。

それにしてもボイタノ選手(カルガリー五輪金メダリスト)が一番滑走とはびっくりでした。
フリーの場合はショートの成績で滑走グループが決まります。細かい順番はくじ引きですけど、成績の良かった選手は後のグループで滑ります。
一方ショートは大会にもよりますが、オリンピック前の成績の良い選手が後半に滑る事が多いです。が、ボイタノ選手は一旦引退しており、滑走順に影響を及ぼす大会に出ていなかった為、まさかの一番滑走となってしまったのでした。
同行者の一番のお目当てはボイタノ選手だったので、彼女のショックはいかばかりだったか……。私はボイタノ選手のファンというわけではなかったけれど、なんてったって、元金メダリストですからねー。見逃した事はやっぱりショックでした。

そうそう、オスロのホテルの朝食、豪華ではなかったけれど、バイキング(ブッフェ)形式で、すごく美味しかったんです。ヨープレイトがあったけど、「日本のより濃い」なんていうメモも残ってます(笑)。

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