ドカベン最終回で思うこと
毎日楽しみにしていた再放送アニメ『ドカベン』が終わってしまいました。
『スラムダンク』と出会うまでは一番好きなアニメでした(と、微妙な位置付けで失礼)。
初めて見たのは二十年近く前の事なのですが、それも再放送でした。相当古いアニメです。
その時は再放送だったせいか、予告がカットされていました。だから当日に初めてその日が最終回である事を知りました。その上、明訓(主人公の学校)が負けちゃったから大ショック。さっちゃん(主人公の妹)が「明訓が負けるなんてウソだーっ!!!!」と叫ぶのですが、私も同じ気持ちで、合わせて「ウソだーっ!!!!」と心で叫んだっけ。放送終了後もしばらく抜け殻のようになっていた事を覚えています。
今回は再放送なのに、ちゃんと翌日の予告を流してくれていました。びっくりしたのは予告にカウントダウンがあった事。「ドカベンの放送もあと3回や!!」「あと2回」「次回、最終回!!」という具合。あの時もここまで予告してくれていたら、あんな衝撃は受けなかった事でしょう。「いきなり最終回」っていうのはホント堪えたよ。
その最終回で、弁慶高校の義経は「自分達は命がけの修業をしてきたから勝てた」というような事を言うのですが、それを受けて徳川さん(元明訓監督)が「ふん、明訓だって命がけでやってらぁ」みたいな事を言います。
多分、私が『ドカベン』を好きな理由というのはこういう所だと思うのです。「たかが野球」を命がけでやってしまう。スポーツ物が好きな私ですが、中でも「スポ根」、根性物が好きなんですね。
……話は変わりますが……
私は「べき」という言葉がキライです。「べき」という言葉を見ると妙に苛立ってしまう。「勝手に言ってれば」とひねくれ者の血が騒ぎ出します。しかし、「べき」という言葉を使った文章で、珍しく共感出来るものを読みました。ヒロさんのブログです。
しかもヒロさんはこの言葉にカギカッコをつけて「べきだ」と強調していました。強い思いがうかがわれます。(どのように使われているか、興味がある方は実際にヒロさんのブログを確認して頂くとして……)
このヒロさんの感覚は、ひょっとしたら一部の人にしかわからないものかもしれません。
そういう自分も完全に理解出来ている自信はありませんが、勝手に共感してしまいました(^^;)。
これからちょっと偏った事を書くので前もってことわっておきますが、
私はスポーツをエンジョイする事が間違っているとは全く思いません。それはそれで良いと思います。
本気の人と遊び半分の人が同じチームにいる事は難しい事もあるのであまり良い事とは思えないし、遊びの人が本気の人を嘲笑う事は許し難いけれど。
さて、
「一生懸命」という言葉があります。
試合を全力で戦う事も「一生懸命」って言うし、試合だけではなく練習から全力でやる事も「一生懸命」って言うし、普段の生活までも犠牲にして頑張る事も「一生懸命」って言ったりします(「一所懸命」と使い分けるのかも知れませんが)。
どの「一生懸命」もそれぞれ魅力的ではあります。真剣勝負は面白い。そして、面白いだけではなくて、何か特別な物を感じます。
ただ……
「懸命」って「命を懸ける」と書きますが、本当に命を懸けている人はどの位いるのでしょう? そこで、先述の義経や徳川さんの「命がけ」という言葉に反応してしまうわけです。「命がけ」とは漫画の中だけの話なのか?
ヒロさんはブログの中で「聖なる感覚」という言葉を使っていました。私はこれがとても気に入りました。「命がけ」というと、陳腐な表現ですが、それにもう少し含みを持たせた言葉が「『聖なる感覚』になるかも」なんて思ったりして。
そして一部のスポーツ・ファンは、「聖なる感覚」を感じさせる物に強く魅かれるのではないでしょうか。
ヒロさんは
「スポーツに価値を持たせるためには
ストイックであらねばならない!!!! 」
とも書かれていて、ここも私は激しく同意しています。
ポイントは
「価値を持たせるためには」
というくだり。
――「価値」という言葉は微妙なので、「自分にとっての魅力」という言葉に換えた方が、私にはよりしっくり来るのですが、皆がそれぞれ「魅力的だ」と感じれば一般的な「価値」も上がるので、同義かな。――
しかし、スポーツに興味の無い方は「別にスポーツに価値を持たせる必要なんて、ないんじゃない?」と思う事でしょう。
それが、先に述べた「一部の人にしかわからない感覚かも」という言葉に繋がるわけです。
一部のスポーツ好き(=私)は、よりスポーツの魅力を強く感じたい(スポーツの価値を高めたい)。だから、スポーツ選手にはストイックでいて欲しいのですね。聖なる感覚を感じさせて欲しかったわけだ。
私は昔、「甲子園球児には聖人君子でいて欲しい」と思っていました。でもその理由が自分ではよくわからず、うまく説明出来ませんでした。そんな事考えていた自分が「ヘンなのかな」と思ってみたり、スポーツ選手にストイックでいる事を求めるのは無理なのかと思ったりしていました。でも、ヒロさんのブログを読んで、「そうだ、そういう事よ!!」と霧が晴れたようなすっきりした気分になりました。そして、そういう考え方をしていたのが自分だけではない事が嬉しかった。
ヒロさんの文を読みながら泣きそうでした。全部引用したい位です。普通ならこういう時、「皆さん読んでみて!!」と言いたい所ですが、今回は微妙。それはこれが、万人にわかって頂ける感覚ではないと思うから。
うーん、なんていうんだろう? これはあくまで「理想」というか、「夢」って感じかな。「白馬に乗った王子様が、私を迎えに来てくれないかしら♪」なんていうのと似たような、現実とは遠いものなのかも知れない。
でも、だからこそ、イチロー選手や、スピードスケートの清水選手とか、そういうストイックな人に憧れます。これは「好き」という感覚とはちょっと異なっていて、「尊敬」とか「畏敬」あるいは「畏怖」の念も混じった感覚です。
オリンピック出場選手にはストイックな人が多いですね。それも私がオリンピック好きの大きな要因かも知れないなぁ。
「ストイック」という言葉とは微妙に異なるかもしれませんが、ヤンキースの松井選手は良い人(君子?)みたいですね。今の所、イイ話ばかり聞きます。金沢在住で、松井選手が中学生の頃から見ていて応援しているという某友人も、「地元でも松井選手の悪い噂は聞いた事がない」と言っていました。そういう人が活躍してくれて、子供の目標になるって素晴らしい事だと嬉しく思う私です♪
長文に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
このヒロさんの記事へのトラックバック話、ずっと書きたかったのに、1ヶ月も経っちゃった(^^;)。
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コメント
こんばんはトラバ ありがとうございます!
ほんとはいっぱい書きたい事あるんですが
御礼と一言だけにしときますね(長くなるのでw)
スポーツには 美しく生きるための基本中の基本ってゆーか
「最初の碇石」になるなにかがある
それはほんの幼い 拙い 小さなものですが
その最初のひとつがなければ 大きなものも作れない
(新渡戸武士道の最初の最初に書いてあったんですが‥‥ぱくっちゃいます!)
投稿: ヒロ | 2005.01.29 21:05
お札の人(おい!!)、そんな事書いていらしたんですね〜。
「幼い 拙い 小さなもの」といっても、碇にするにはずっしり重くなくちゃならないんですよね。それが軽い人はふわふわ漂っちゃうのかしらん。
私も信念とか、こだわりとか、美意識とか、そういう事もホントはもうちょっと書きたかったです。
でも、どうもうまくまとめられなくて。歯がゆいです。
投稿: YAGI節 | 2005.01.30 00:40